
名称学研究家・名前士® / 東洋思想・東洋医術研究家
仁徳育成塾 総塾長
藤原 将裕
1958年愛知県生まれ。幼少期の不思議な体験から「氣」を探求。商業高校から大学進学、教員資格取得。郵政公務員23年で適応障害を経験後、外資系保険会社で全国3位、MDRT入り。13年前「仁徳育成塾」設立。中日文化センター、NHKカルチャー講師を務め、気学、算命学、名称学、家相、易経で指導。300件以上の家相設計、年間100件の人生相談、5社限定の企業命名顧問。「何を学ぶかより、誰から学ぶか」を信念に、本物の学問を伝える。
運命に導かれた幼少期
1958年11月、愛知県生まれ。幼いころから不思議な体験を重ね、何かに守られているような人生を歩んでまいりました。
小学生時代に3度の大きな交通事故に遭遇しましたが、いずれも奇跡的に軽傷で済みました。トラックに引きずられても服が破れただけ、バイクとの衝突でも自転車から飛ばされて助かる。ひき逃げ事故でも間一髪で接触を免れる。
この体験から、目に見えない力の存在を強く感じるようになったのです。
挫折と再生の学生時代
中学時代は超進学校で一日5時間の厳しい勉強漬けの日々。しかし、どんなに努力しても成績は上がりませんでした。やらされる勉強に心が折れ、ついに勉強を放棄してしまったのです。
同級生たちが進学校へ進む中、私は商業高校へ。周囲からは「落ちこぼれ」と見られる状況でした。進学を希望すると、進学指導の教師からは「絶対に大学には受からない」と決めつけられました。
そんな絶望の中で、たった一人の教師が私に声をかけてくださいました。
「大学に行きたいなら諦めるな。商業高校からでも大学進学はできる。今の成績ではどこにも行けないのは事実だ。それを受け止めろ。そして諦めるな。チャレンジしろ」
この言葉が私の人生を変えました。後にこの先生は私の結婚式で仲人を務めてくださり、現在の教育理念「教育とは教え育てるに非ず、育てるために教える」の原点となったのです。
しかし現実は厳しく、受験は惨敗。浪人生活が始まりました。
裕福でない家庭のため、大学進学の学費は出してもらえません。2年間、90種類以上のアルバイトを掛け持ちしながら予備校に通う苦しい日々でした。
大学に入ってからも働きながら、奨学金をもらいながら、足りない分は借金をして6年半かけて卒業。教職課程も修了し社会科の教員資格を取得しましたが、希望の教員採用試験には落ちてしまいました。
公務員時代の成功と挫折
やむなく郵政公務員を選択し、23年間勤務いたします。
管理者として昇進し、一見すると順調なキャリアを歩んでいるように見えました。
しかし、組織の重圧と過酷な労働環境の中で、ついに心が限界を迎えます。適応障害と診断され、家族のことを考えると自殺もできない状況まで自分を追い込んでしまいました。
複数の医療機関を受診しましたが、どこでも「うつです」と即座に診断され、薬を出されるだけ。絶望の淵に立たされました。
そんな時、信頼できる婦長の紹介で静岡の心療内科医に出会います。
その医師は2時間近く私の話を聞いてくださり、「あなたはうつではありません」とはっきり言ってくださいました。
この出会いがなければ、今の私は存在していないと確信しています。
営業の世界での大転換
同時期に、私のキャリアを活かしてのびのび仕事ができる外資系保険会社にスカウトされます。人生最大の決断として公務員を辞め、未知の営業の世界に飛び込みました。
転職後、経営者の集まりで「五行と経営」の講演に出会い、九星気学に深く興味を持ちます。
師匠のアドバイス通り吉方位引越しを実行すると、なんと入社1年目で東海北陸地区1位、全国3位の営業成績を達成。
新人としてはありえない快挙でした。
この成功でMDRT(世界トップクラスの生命保険営業のエリート組織)のメンバーにもなることができました。
3年で外資系会社を卒業し、共同経営で代理店を始めました。
業績は順調でしたが、経営方針の食い違いから、取締役でありながら退職する道を選ばざるを得ませんでした。
またもや人生の分岐点に立たされます。
学びの軌跡と真の使命発見
しかし、この挫折が真の使命に気づくきっかけとなりました。営業で成功した経験、公務員時代の苦しみ、そして様々な学びを通じて得た知識。これらすべてが教育の世界で活かされるべきだと悟ったのです。
学生時代から「氣」に興味を持ち、少林寺拳法や太極拳を通じて探求。中国伝統医学の医学気功師として師事し、危篤状態の母親を気功で支えました。現在90歳を超えても元気でいる母を見ると、学びの力を実感します。
15年間、愛知から東京、岐阜、名古屋へ毎月通い続け、複数の師に師事して気学を学びました。姓名鑑定では名前学の源流まで研究し、「名称学」として体系化。横浜中華街で80歳を超える師に弟子入りし、算命学の奥義も習得いたします。
「一流になるには独学では限界がある。本物の師に触れなければならない」
この信念が現在の私の土台となっています。
論語の「50にして天命を知る」を実践し、50歳の誕生日に選名を使い始めました。この決断が現在の仁徳育成塾につながる最大の転機となったのです。
仁徳育成塾設立と現在の活動
教育事業「株式会社ペガサス」を設立し、「仁徳育成塾」を開講。スタートはわずか6人の喫茶店勉強会でした。
しかし、本物の学びを求める人々が集まり、口コミで参加者が増加。会場を借りなければならないほどに発展し、中日文化センターやNHKカルチャー教室の講師も務めさせていただくようになりました。
- 気学・算命学:人生の転機を的確に掴む指導
- 名称学:企業顧問として年間5社限定で命名指導
- 家相:300件以上の設計指導実績
- 易経:年間100件以上の人生相談
- 心理学:自身の適応障害体験を活かした心のケア
数々の挫折と成功を経験したからこそ分かることがあります。
人生には必ず浮き沈みがあり、その試練こそが人を成長させるのです。
単なる占い鑑定士ではなく、教育者として真の学問を伝えることが私の使命です。
「何を学ぶかより、誰から学ぶか」この座右の銘のもと、本物の学問と体験に基づいた指導を心がけております。
挫折を恐れず、諦めない心。そして本物を求め続ける姿勢。
これらを通じて、一人でも多くの方の人生が豊かになることを願い、今も学び続けております。
苦難の中にこそ成長の種があります。
あなたの人生にも必ず転機が訪れます。